2013年8月17日土曜日

資本主義の本質と感情的な人間らしさの接点

最近タイトルのことについて考える機会があった。


まずもう先週の話だけど、
会社やってたときの親友が
タイにコンテンツを輸出する事業を
公共の補助金を受けてやるので、
その意見が聞きたい
+サポートをしてほしいという話だった。

全然会社的に(部署的に)
やってもおかしくない話でもあったので、
話を詰めていこうと思ったのだけど、

正直半年前くらいからは
そのアドバイスや分析だけででも
お金がもらえるくらいの知識やスキルが自分にはあるわけで、
それをほぼタダで提供するというのも
おかしな話であったので、言えない部分がたくさんあった。

事業のマッピングもそうだし、
キャッシュポイントのフローの組立とか
話を通す実行フェーズに落とした順番とか
これを構成作って教えてあげるだけでも充分にお金になる話だ。
(どれくらいの深さかっていうのもあるし、あとでの金の取り方にもよるけども)

もともと仕事で連携する話で始まったのだけど、
その話が向こうでポシャって、同い年なのもあってそれから彼とは飲み友達で、
3年くらいの仲で非常によく話すのだけど、

いざまた仕事ってなったときに
こういう部分を割り切る自分になんだかムズムズするのであった。


ビジネスライクにいくのか、
人間くさく付き合っていくのかって
結構実際に仕事していく中で考えていくことであるとおもうんだけど、


この2日後くらいにエイベック研究所っていう元々学生ベンチャーから始まった、
ソーシャルメディアの運営のたまに研究っぽいこともしている会社があるのだけど、
http://www.aveclab.com/

そこの広報誌の社長とICUの教授かなんかが話している対談に
その答えになりそうな面白いことが書いてあった。

簡単に言うと、
資本主義の本質や根底に人間っぽい信頼があると言う結論だった。

人が人を雇用すること自体もそうだし、
500円が500円という価値として使われるのもそうだし、
株式を買って出資するっていう行為もそうだし、

これって実は給料経理の人が持ち逃げるかもしれないし、
500円が明日からニッケルと銅の塊としてしか価値を持たないかもしれないし、
株式なんか少なくとも法人と経営者の間の契約は彼らの自由意思の塊なわけで、

突き詰めるとそもそも信頼してないとできないことであると。

スイカが1000円で、メロンが2000円なのも、
それがその値段、価値を持つことが認められていることが前提になっている。

クレジットカードの「クレジット」
の語源ってクレド、「信頼」から出来てたりとか、そういう観点も面白かった。

もちろん、能力が高いとか、
物理的な報酬が働いて動くこともあるかもしれない。

でも、信頼って多分それ以外の方法でも生み出せるし、
もっと根深く信頼してたりとか、
その人を頼りにできる関係性が前提にあることが、
資本主義って言う資本家と労働者を資本・貨幣っていう共有の財産をもってして
システマティックに結び付けた、非人間的と言われるシステムの中で
実はすごく大切だったということ。

これ自体が結構面白いし、
そうすると現代のビジネス環境も前提に資本主義があるから、
それをうまくいかせるためには、

人間的な関係構築が(も)重要っていうのは、
ただのおっさんの説教ではなく、
論理的に説明可能な可能性がある。

資本主義な現代的としてもそういうのも大事ということだ。

信頼することのトリガーになる要素って、
単に能力や社会的な評価だけでなく、人間的な付き合いもありうるもんね。


こう考えると、前に書いた友人をビジネス的に割り切ったことへのなんとなくの違和感とか、
それとなく説明がつく気がする。
(さすがに今の立場を考えると、結論は変わらないのだけれども。)
人間臭い付き合いを大事にするうちの会社のスタンスも、
そうみると悪くないのかもしれないなとか改めて思った。


これから飲みにでも行ってきます。

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